カオス・オブ・ウィザード
作:RUN GROTETH Q
プロローグ――悪魔大災
そこにあるのは絶望だけだった。空が暗雲で真っ暗になり、地上に悪魔が溢れかえった日。ビルが硝子の雨を振り撒いて崩壊し、街行く人々の屍が山積みとなり、あちこちで爆音と悲鳴が轟いた日。
悪魔はありとあらゆる苦痛を与えて、楽しげに人を殺していく。そしてその人々の苦痛は悪魔の糧として、奴等をより強大にしていく。人々はひたすらに逃げ惑うしかなかった。彼等は人類の捕食者だった。
逃げて。逃げて。逃げて。あたし達の通っていた小学校で生き残っているのは、もうあたしとショウの二人だけだろう。
ショウの魔法の師であるフェイクの家を目指して、目立たない小路を選び、あたし達は走り続けていた。時折聴こえる奴等の雄叫びや悲痛な叫び声に脅えながら。
あたしはこの瞬間、歌手の夢を失った。立て続けに恐ろしいものを見続けてきて、ついさっきまで見えていた夢や希望は、靄がかかったかの様に見えなくなっていた。
死にたかった。夢や希望の無い世界で一生を過ごすなら、死んで意識も何もかもが拡散してしまった方が、幾分マシだろう。かと言って、悪魔に捕まり拷問の中で殺されるのも嫌と言うもの。あたしは必死だった。
「オイオイ、フィル、オマエ大丈夫か?」
少し前を走るショウが、あたしに問いかける。
「うん。どうして?」
「なんか、さっきから目ェ死んでんぞ?」
見抜かれてしまった。読心術でも使えるのだろうか。彼は、現代ではほとんどいなくなってしまった、世界に満ちた生命エネルギーの操り方を知る者、魔術士である。
「これからどうなるんだろうって、考えてて……」
あたしは目線を落とした。あたしは歌手になりたい。けれど……空と同じ色をした靄が、歌手になったあたしの像をぼかしていった。
「う〜ん、これから……、かぁ」
ショウは走りながら顎を人差し指と親指で触った。あまりにもいつも通りの仕草にあたしは少し安心してしまう。
「ま、なんとかなるんじゃねぇか?」
彼はそう言って笑った。その瞳はあたしと違って死んではいない。活き活きとした銀眼だ。
「なんとかなるって云うの??この状況で??」
あたしはショウのあまりの能天気さに呆れた。
「アイツ等、見たでしょ??学校の皆、アッという間に殺されちゃったじゃん?しかもすごい沢山いるし」
そして、なんとか彼にこの危機感を伝えねばと思い、躍起になった。
「そーだなー。そういうオレ等も、オレが無敵の魔術士様じゃなかったら、今頃死んでるだろーな。」
ショウは銀色の髪をボリボリと掻いた。
「でもな、フィル。世界中に魔の力――マナを使える人間って、どれ位いると思う?」
「マナ??ショウやフェイクさんみたいな魔法使いってこと??世界中に一万人いたら多い方だと思うよ」
「残念。答えは60億人だ」
ショウは悪戯っぽく笑った。
「ハ?60億って世界の総人口じゃん!」
「そーだな。因みにこの数の中にはフィルも勿論含まれている」
「えっ。あ、あたしも?」
「ああ。人間ってのはみんな、訓練さえすれば、魔法とか気の力とか云われてるヤツが使える生き物なんだ」
「じゃあ、あたしも訓練を受ければショウみたいに魔法使ったり出来るってこと?」
「そういうことだ。そうなるまではオレが護ってやる。だから、難しく考えてねーで、フェイクの家まで突っ走れ。オレ達はまだ殺されたワケじゃねーんだからな」
ショウはいつも通りに励ましてくれた。彼はこの状況で切羽詰まったり、追い込まれたりしていない。それが何よりもあたしを安心させてくれた。
あたしの中の靄が少しだけ晴れる。靄の向こうのあたしの姿は、今までのものより少し凛々しく変わっていた。
しかし、絶望はまたしても唐突にやって来る。
それはフェイクの家まであと少しのところまで来た矢先のことだった。
「クックック、残念だったねぇ〜」
横道から、嘲笑を浮かべながら現れたのは、学校で皆を殺した男だった。ショウは厳しい眼差しでその男を睨み、あたしを腕で庇う。
「チッ、お見通しだったってワケか」
「悪魔をそんなに簡単に出し抜けるとでも思ったのかい?可愛いねぇ」
悪魔は壊れた玩具の様に首を斜めに揺らしながら嘲笑った。
殺される!あたしは思わずショウの腕を握った。
「そーかい、そりゃぁ良かった」
ショウはそう言い、
「我等の身を彼方へと!《転移(ムル)》!!」
と唱える。次の瞬間、周囲が俄かに光り、あたしは悪魔を反対側から見ていた。どうやらあたしとショウは悪魔の向こう側へ瞬間移動したらしい。
悪魔はゆっくりとこちらへ向き直り、
「へぇ、その年でもう転移魔法が使えるんだ。スゴイねぇ」
と褒めた。
ショウは無視してあたしに言う。その瞳は烈火の如く燃えている。
「いいか?これからオレはこの人間ナメてるクソ野郎を血祭りにあげる。オマエは邪魔だから逃げろ」
「やだ!ショウ死んじゃうよ!!」
「ってぇとなにか?オレがこのイカレ野郎より弱いと?」
ショウは笑ってみせた。
「コイツが血反吐ブチ撒いて土下座したら後を追うからよ」
そしてあたしの頭を撫でる。その手は暖かかったけれど、あたしの不安を拭うには小さすぎた。
「だから、振り向かずに、フェイクの家まで、一直線に逃げろ。そんでもって、生きろ!」
「でも……」
「そんなに心配ならフェイク連れて来りゃいいだろ?あんなんでもオレの師匠だ。こんなへっぽこに遅れは取らねぇ」
「う…、うん」
あたしは頷いた。
その直後、
「逃がすと思うかい?」
悪魔があたし目掛けて駆けて来る。
「まずはキミからだよ!!」
「走れ!!!」
ショウと悪魔の声が重なる。あたしは悪魔の手から逃れ、フェイクを呼びに行くために走り出した。
「邪魔をするなクソガキィィイイ!!!!」
「テメェにフィルは渡さネェェエエ!!!!」
背後から叫び声と魔法の撃ち合いによる爆音が轟く。あたしは言われた通り、振り向かずに走った。
その後、急いであたしはフェイクとその地に戻ったが、そこにはショウの姿も、悪魔の姿もなかった。
ただ、抉れた路面と瓦礫と化した家屋だけが、その対決の凄まじさを物語っていた。
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