ル・レクチェのために
少年は、激しい頭痛に悩まされていた。銀色の髪はくしゃくしゃになり、裸足で小枝を踏む感触に銀色の瞳を歪ませながら、裸のまま、夕日が落ちて暗くなっていく樹海の中を、只々、彷徨っていた。
何も思い出せなかった。思い出そうとすると、脳髄がビキビキと痛み、思考を妨害するのだ。何故そこにいるのかすら判らずに彷徨う内、少年はいつしか人を求めていた。
何も思い出せない少年には、愛する女も、信ずる友も、尊い親も、何もない。少年の頭の中は、みるみるうちに空虚感で埋め尽くされた。
このまま森を出たとして、オレは一体どうするのだろう。頼る者もなく、金も、服すら持たず、どう生きていけばいいと言うのだ。オレには何もない。何も残されちゃいない。
しばらく歩いたところで、少年ははたと足を止めた。そして草木の生い茂る大地に、仰向けに寝転んだ。
このまま、朽ちてしまおう。
時は流れていった。日が完全に落ち、暗い暗い夜が訪れた。黒い木の影に邪魔されて、あまり星が覗けない夜だった。少年は、いよいよ絶望に塞がれていった。
そんな中、
「カオス・オブ・ウィザードよ」
突然低い声が辺りに響いた。
少年が目を開き、声のした方を見ると、漆黒の鎧に身を包み、恐ろしげな雰囲気を漂わせた、青白い顔の男がいた。
「なんだ?テメェは?」
少年はその男を見て、思わず飛び起きた。
「貴方を連れ戻す様、命じられた者だ」
男は低い声で言った。
「貴方の力は、我等悪魔が頂く」
悪魔?その言葉を聞いた瞬間、少年の脳がズキンと痛んだ。少年が頭を抱えた隙に、男は流れるように少年の後ろに回り込む。いつ朽ちても構わないと思っている少年だが、何故か、連れて行かれることに嫌悪の念を抱いた。
「さて、参ろうか」
後ろで悪魔が言う。逆らえば腕づく、暗黙の内に空気がそれを伝えてきた。しかし、少年は動かなかった。
「ごめんだね」
ウンザリした様に少年は言った。
「何を馬鹿な。現に、今の今まで死ぬことばかり考えていたであろうが」
悪魔は少年の心を読んでいた。ずっと後を尾行していたのかもしれない。
「自分の居場所がないので、途方に暮れているのだろう?そんなもの、我等が簡単に用意出来るぞ?世界の半分をやろうか?美女ハーレムの長にしてもいい」
文字通りの「悪魔の囁き」に、少年はフッと嘲笑した。
「オマエ馬鹿か?欲望ってのはな、テメエで満たしてこそ、価値があるモンなんだよ。そーゆーのは、満たすチカラのないもっとヘボい奴に言ってやんな?喜ぶだろーぜ?」
言った後になって、少年は自分で驚いた。まさかそんな言葉が出てくるとは……と。しかしすぐに、あぁ、そういやオレってこういう奴だったっけ、と思い当たった。
「交渉決裂だな」
少年は、死ぬのはやめにして、やはり人里を探そう、服は最初に会った奴から強奪しよう、と心に決めた。
ん?最初に会った奴??
少年は振り返った。当然、怒りを静めて冷静にこのガキをたぶらかそう、と躍起になっている悪魔が映る。彼は見事な鎧を装着していた。
「なぁ。」
相手は悪魔?呪われた防具かもしれない?そんなことは最早全く問題とならなかった。むしろ、思春期の少年にとっては、街に着いた時の、人の見る目の方が気になるところだ。
「その鎧、オレに寄こせよ。オマエみたいな三枚目には、似合わねぇ」
寄こす筈が無いのは判っているが、とりあえず凄んでみた。悪魔の表情は、見る見る内に赤くなった。
「来る気が無い上に、我を愚弄するか。主には従わぬ様なら殺せ、と言われている。死んでもらうぞ」
悪魔は、獰猛な本性を剥き出しにして襲い掛かってきた。鋭く伸びた爪が少年の頚動脈を狙う。少年はそれを紙一重で避けて、拳を悪魔の鼻面にめり込ませた。
「あ。人間相手じゃねぇから、こんなんじゃ参らないか。」
言葉だけをその場に残し、逆上した悪魔の振り払うような一撃を避けて後方へ跳び、魔法を詠唱する。
「我がマナよ、力となりて我が腕に降りよ!」
「遅いわ!!」
詠唱中の少年に向けて、悪魔はバレーボール大の光球を放った。少年のいる周辺が大爆発を起こす。
「確かに人の魔法は詠唱しなきゃだから面倒い。オマエ等が羨ましいよ」
減らず口は《悪魔》の後ろから聞こえた。爆発の瞬間、少年は信じられないスピードで悪魔の後ろへ移動していたのだ。
「ば、ばかな」
「《魔剣(マナ・ウェルプ)》三日月!!」
少年は、魔力を凝固して作った巨大な紫色の鎌を軽々と振り回し、驚愕する悪魔の首を斬り落とした。悪魔の頭は絶叫し、鮮血が首の根元から吹き出す。上級悪魔ともなれば、首さえ接合すればすぐに再生してしまうので、少年はすぐに、
「スコップ」
武器に指示を与える。魔法武器は、ヴンと機械的な音を立てて大鎌の形状から巨大なスコップへと姿を変えた。少年は素早く穴を掘り、胴体へ戻ろうと触手を伸ばす悪魔の頭を穴の中へと蹴り落とし、土を戻してゆく。
「だ!出すのだ!!小僧!!」
悪魔は大声で喚いたが、出すわけが無い。これから胴体から鎧を剥がし、自分のモノにしなければならないのだ。少年はトドメとばかりに首が埋められた場所の上に岩を乗せた。悪魔の生命力ならば死にはしないだろうが、おそらくは仲間が来るまではそのまま岩の下だろう。
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