目の前に現れた謎のアサシン。得体は知れないものの、今は味方。
 フィルは素早く判断し、彼が駆け出すのと同時に“詩”を唱えだす。

   フィル ラ リディア
   フィル ラ リィス
   フィル ナディア リムルス
   ウァナ ル レィテ ウルムスディア

 上級古代語で歌われるその詩は、フィルにとって最大の奥義だった。
 濃縮された言霊が蒼き霧となって、徐々に辺りを満たし始める。

 《ショウ》と対峙した舞優は、フェイクと同じように圧倒的な力に翻弄されていた。剣化した腕を乱雑に振り回すだけで、忍者のエリートは追い込まれていった。
「フン、汝が隠れて機会を伺っていたのは知っていた。こそこそと首を掠め取るのを狙うだけの雑魚に、我が倒せると思うな」
 少年は覚悟を決めていた。確かに奴の言うとおり、隙をうかがっても倒せるかどうか分からない相手を、真正面から挑んで倒せるはずが無い。しかし、あのフィルという少女には、賭けてみたくなるための可能性があった。
 《ショウ》の剣化した腕が首筋に迫る。彼にはフェイク程の回復能力は備わっていないため、ここを斬られることは即座に死を意味する。
 殺られると思った瞬間、舞優は紙一重でそれを躱していた。が、それを避けられたのは奇跡に等しかった。

 間に合った。フィルは安堵した。辺りはフィルのマナに満たされている。その“詩”は彼女が子供の頃、ショウと共に冒険して見つけた古代の《祝福の詩》だった。
 マナを扱えるようになった後この詩を歌うと、どういうわけか周りの者達が活力を得るのだ。
 さらに、彼女がこの詩を歌うのにはもう一つ理由があった。
 ……この詩を聞いても自分を取り戻せないなら、もう知らん。迷わず戻って来てよ。ショウ!

 フィルの詩の効能を得た少年は、《ショウ》の乱雑な攻撃をかわしながら、忍術を編む。風を手刀に纏わせて振り下ろし、空気の断層で攻撃する奥義《風の刃》。彼は己のマナを風のエレメントに変換し、冷静に隙を狙った。

 一方《ショウ》は集中力を蝕まれていた。
 中で奴が暴れている。まさか!望みの部屋へ閉じ込めてやる気を奪い、虚無へ堕として精神をも喰らい潰した筈だ。
 《ショウ》は狼狽していた。あのアサシンが何をしようと滅びることは無いだろうが、このままでは奴に肉体の占有権を奪われ兼ねない。
 そして、突然彼の精神に殴られたかのような衝撃が走った。
 その隙を逃さず、舞優が秘技を放つ。



 「よう。乗っ取りに来てやったぜ?」
ショウは不敵な顔で目の前の男を睨んだ。
「オレがちっと死に掛けている間に、随分好き勝手やってくれたじゃねぇか?お?どういうワケか、ここに来た瞬間に大体の情報は把握出来たぜ?」
目の前の男は、真っ白い法衣を着ている以外髪の先からつま先まで、ショウとそっくりな姿をしていた。
「オマエ、信仰されなくなった、マイナーな神だろ」
相手が神と知ろうと知るまいと、ショウの声に畏敬の念は無い。
「混沌の神。元は創造の神ってところか?まぁ、オマエが何者で何で暴れるのかなんざどうでもいい。問題はオマエがオレの肉体を奪って、友達や親代わりを殺そうとしてるっつーことだ」
「それで?貴様は我から肉体を返して貰いに来た、と?」
ここで初めて《ショウ》は口を開いた。やはり同じ声色。だが、ショウはこの様に人を見下した調子では喋らない。ショウにとってその声は、聞けば聞く程虫唾が走る声といえた。
「違うな。オマエのチカラを根こそぎ奪いに来たんだよ。このパクリ野郎」
「ほざくな!人間がァ!!」
《ショウ》が叫んだ。凄まじいまでの存在の力が、ショウを押し潰そうと襲い掛かる。
「カァッッ!!!」
ショウはその力を怒号一つで撥ね退ける。しかしさらに《ショウ》は、猛然と拳をショウの腹部に叩きつけた。
「潮時だ!人間!! 」
そこから《ショウ》の意思がショウに侵入していく。
 だが、蒼い霧がフィルの意思を象徴する様にショウを押し包み、彼の意思を護る。
「オラァ!!!」
ショウは逆に拳を押し返した。そして、上半身を右に大きくねじり、腰溜めに拳を構える。
「人間を……」
瞬間、ショウの身体が蒼く光る。
「ナメんじゃねえぇぇェェエエ!!!!!!!! 」
身体全体を使って放たれた拳が、混沌神《ショウ》の鼻先を捉える。
 その一撃は《ショウ》の鼻骨を粉砕し、後方へと吹き飛ばした。
「ま、まさか人間に……」
「まだだぁぁァァアア!!!!」
「グボァッ!!!!」
ショウはよろよろと起き上がろうとした《ショウ》の顎に、力いっぱい蹴りを打ち込んだ。さらに……
「オラオラ、テメエよくもフィルを殴ってくれたなァ?」
「ご、ゴフゥ!!!」
「オレでも師匠をあれだけ斬りつけたことはねぇんだぞ?」
「ひでぶっ!!!!」
「新しく出来た友達まで無くそうとしてんじゃねぇよ、このうすらハゲ!」
「ぎではぁーッ!!!!!」
「つか、てめーが暴れまくってくれたせいで、ルレクチェの弟助けられんくなったらどーすんだコルァ?」
「あぶらぱぱぱッ!!!!!」
……ショウは書ききれない程のリンチ行為を行った上、額に肉の字まで書いた。
「何故……貴様、人間の分際でそこまで強ギャ!!」
「決まってんだろ?昔っからあの曲を聴いた時のオレは、絶対無敵なんだよ。だからフィルを狙ったんじゃねーのか?」
答えは無かった。《ショウ》は踏み付けられたまま、辺りの闇の中へと溶けていった。



「あぶねぇな、舞優」
ショウは危ういところで舞優の《風の刃》を受け止めていた。
「オマエオレを殺す気か?」
ニヤリと笑う。
「ショウに戻ったの?」
「あぁ。まさかオマエが暗殺しようとしている相手がオレとはな。まだ殺る気か?」
ショウは真剣な顔で舞優を見た。
「今が一番チャンスなんだけどね……。やめとくよ。そんなことしたらあの人に殺されそうだし」
舞優は苦笑いして、フィルを指差した。
「ショウ……だよね?今度こそ」
「フィルか。夢追っかけてるみたいだな」
ショウはくだけた笑顔を送った。
「生きてるならなんで連絡しなかったのさ?5年も探してたのに……」
「わりぃ」
フィルはショウの元へと駆け寄った。ショウは当然抱擁を交わすものかと思い、両手を広げて受け入れようとした。しかし……
「わりぃじゃねーっつーのッ!!!」
「ギャイン!!!」
加速度で威力を上げた跳び蹴りが、間抜けに腕を広げて目を瞑っているショウの顔面に炸裂した。ショウは犬の様な悲鳴を上げて突っ伏した。
「あ〜た〜し〜に〜魔法ぶち込んどいて〜〜、た〜だ〜で〜済むと思うな〜」
フィルはさらにショウにまたがり、キャメルクラッチした上に首まで絞めてショウを苦しめる。
「元に戻ったなら好都合。このまま絞め落としてくれるわ〜」
「い、いや。オレ、身体乗っ取られてたんだっつーの」
「乗っ取られてただぁ?んなもん、ちょっとたりとも許さ〜ん。全国一億5千万人のファンを持つ乙女をいたぶってくれた罪は重〜い」
「ぎ、ぎぶ。ぎぶ!つか、オマエ等……ルレクチェの……弟……助けに来たんじゃ……ねぇの…か?」
ショウが酸欠気味に言うと、フィルはようやく完全に極めた両腕を放した。
「そうだった……。ここでこれだけ騒いだから、悪魔教の奴等逃げちゃったかも……。フェイク?」
フィルはフェイクを振り返った。
 彼はショウが蹴られた辺りで傷を完治させ、それからずっとラフランス――ルレクチェの弟――の位置を魔法で探っていた。
「それが……いないみたいなんだ。彼どころか、悪魔教の連中の気配も見当たらない」
フェイクは困惑した表情を浮かべた。一難去ってまた一難である。
「チッ、間に合わなかったか。とりあえずそれまでいた場所でも探ってみっか?」
ショウは踏んづけられたまま舌打ちした。
「誰のせいだ?誰の?ん〜?」
フィルは素早く身体を反転させ、今度は逆海老固めでショウを責めた。
「……魔王。オレが始末するまでも無さ気だね」
舞優は、ぽつりとひとり言を落とした。



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