フィルナディア列島の中程に位置する都市、ウォーターパレス。結界によって悪魔から護られたこの都市最大のイベントホール、ウォータードームは今や熱気に包まれていた。今日はファンにとっては待ちに待った、ロックアーティストpinkcatsのライブコンサート。彼らはpink catsの二人が登場するのを、今や遅しとばかりに待ちわびていた。
開幕の時間になったが、二人は一向に現れない。せっかちな客がどよめき始めたところで主役不在のまま曲が流れ出してしまう。
誰も奏でていないのに流れるの鮮やかな音色。そしてステージ上にスモークが分厚い雲海の様に流れ出す。
「オイ!フィルちゃんはどーしたんだよ!!」
客の一人が思わず腰を上げたその時、スモークの中に人の形のシルエットが二つ、ゆっくりとステージ手前に向かって歩いて来る。
それは紛れも無く、pink catsの二人、フィルとフェイクだった。
さぁ!ライブの始まりだ!
金髪ロングヘアーのベーシスト、フェイクがファンの中から可愛い娘を探し出し、ウィンクしながらベースをかき鳴らす。ウィンクされた女性は頬が真っ赤になるほど興奮して、いつもの三倍以上の黄色い声援を上げた。
会場の割れる様な歓声に、蒼き髪の美少女ボーカリスト、フィルは笑顔を返して叫んだ。彼女は詩に込めた己の感情を、時に真夏の日差しの様に、時に激しい荒波の様に、観客へと浴びせかける。
少年は困り果てていた。首尾よく悪魔から鎧を強奪したまでは良かったが、何処へ行けば人里があるやら、さっぱり判らない。このままでは飢えて死んでしまうか、低級悪魔に喰い殺されてしまう。
少年が途方に暮れていると、小さな歌が聞こえてきた。
綺麗な歌だった。
少年は自然とその歌が聞こえる方へと歩き出した。
夜の森は人の生活空間とはかけ離れた異世界だ。歩く先はぼんやりとしか見えず、時折不穏な血の匂いと獣気を感じ、身構えることもあった。首筋に触れる木の葉や枝は、まるでどろどろとひしめき合った繊毛触手の類いの様だ。それでも少年はめげずに歌を辿って歩き続ける。
そうやって進んで行くにつれて、その歌が同じ年頃の少女のものだと判った。そして、彼は、歌う彼女の心が伝わっていく様に感じた。
フィルの書く詩には、ポジティブな言葉が多く使われていた。それは「立ち上がる」とか、「勇気」のような、熱い言葉である。
オーディエンスはそれに共感して、心を動かされていく。それは時として、悪魔の恐怖に脅かされた辛い時勢を生き抜く、心の支えにさえ成りえた。
何故、彼女の言葉にそれほどのチカラが宿るのか。それは彼女の心の奥に、消えることの無い一握りの淋しさがあるからだった。彼女自身が淋しさを超えて、自らの志す道へと進むこと、それが詩の一言一言に、大いなるチカラを与えているのだ。
さて、ライブも中盤に差し掛かってきた。ライトの光が作り出す人工の後光の中、共に演奏をしているフェイクですら驚く程に、フィルの歌はヒートアップしていった。
そして力強く歌いながらも、いや歌えば歌うほど、フィルはあの日のことを想起していた。
あたしは強くなった。こうして皆の前で歌える程に。そしてこれからも強くなり続ける。貴方の様に。
ショウ…聴こえてる?この歌、この歓声。観てる?あたしが遂に具現化できた夢。貴方の代わりにする闘い。
少年はとうとう森を抜けて、街の入り口に辿りついた。『ようこそ、ウォーターパレスへ』と書かれてある門は、まだ平和だった頃の面影であろう。少女は今も街の何処かで歌っているのだろうか。メロディーが街の奥の方から少年を引き寄せるように流れてくる。
しかし、入ろうとした瞬間に、少年はあることに気付いた。この門は、いや、おそらく街全体は、薄いガラスの様な膜で覆われていたのだ。
何だ?これは。結界だろうか……。
少年がうろたえていると、門の向こうにフィルナディア国自衛隊が集結して来た。そして、少年に向けて無数の銃口を突きつける。
「オイオイ!こいつは何の冗談だよ!!」
少年はバンザイをしながら門の向こうに叫んだ。
「冗談じゃねぇ!テメェはなんだ!?そのアーマーは上級魔族レイスダムのモンじゃないのか!?」
上官らしき髭を生やした丸坊主の男がメガホンでがなりつけてくる。かなりうるさい。少女の歌が聞こえなくなり、少年は顔をしかめた。どうやら奪った悪魔の鎧のせいで疑われているらしい。
「この鎧はその悪魔を倒して奪った物だ!オレは人間だ!!」
少年も叫んだ。機動隊が一瞬どよめく。
少年が倒したレイスダムは彼等機動隊がようやっと追い払える様な存在だ。獅子の革を剥いでまとったヘレアトスではあるまいし、そうおいそれとガキに倒せてたまるか。
しかし、少年が装備している鎧は間違いなくレイスダムのものだった。
「いいだろう。とりあえずは信用してやる。じゃあ、国民IDとパスワードを言え!」
髭を生やした指揮官が寛大な表情を作って怒鳴った。悪魔大災以降、フィルナディアの各都市は悪魔の襲来を恐れて強固な結界を張り、国民IDを持たない者をかたくなに受け入れなかった。しかし、思い出を失った少年はIDの存在は知っているものの、自分が申請したナンバーが何番なのかを思い出せない。
「ゲ。IDだと??」
「『ゲ。』じゃな〜い!!10数える内に言えなかった場合はこの場で射殺してやる!!撃ち方用意!!」
司令官は会心の笑みを浮かべた。
(根っこからサディスティック鬼軍曹な俺にとって、頭髪を銀色に染めてチャラチャラやってる時点でこの餓鬼は許せん存在!まして、上級悪魔をぶっ倒したなどと嘘吹きおって!コイツが何者であろうと関係ねぇな!蜂の巣にしてやるぜ!!)
少年は司令官の笑みを見て、そんなことを考えているのでは?と妄想した。
「ちょっと待て〜〜〜!!!」
「10」
無慈悲にもカウントダウンが始まった。ひょっとしたら少年の妄想は当たっているかもしれない……。
「ID!ほら、アレだろ??」
「9」
「ちょっとボケてるだけだって!!」
「8」
「今すぐ思い出すっての!!」
「7」
「ほ、ほら、えーと、IDは…」
時間稼ぎはことごとく失敗に終わった。少年は未だに痛みの残る頭をフル回転させて必死に考えた。
pink catsのライブは、遂に最後の一曲を迎えた。フィルは歌う前に観客に語りかけた。
「今日はアタシ達のライブを観に来てくれて、本当にありがとうございます。最後にこの曲を、今は亡きあたしの命の恩人に送ります。どうか、応援していてください。『再開――same
hearts』……歌います」
緩やかに曲が流れ出す。フィルはメロディの中で彼が何処かで自分の歌を聴いているのを感じた。
―ショウ……
「ほ、ほら、えーと、IDは…」
「6」
処刑へのカウントダウンは休むことなく続けられていた。
「IDは…」
「5」
そのとき、少年はハッと瞳を見開いた。
歌声がする。懐かしい歌声だ。オレはこの声の主を知っている。小学校で唯一オレを認めてくれた声だ。辛いとき、楽しいとき、いつも隣にあった声だ。
少年の耳に、司令官がメガホンで数を数えている声などよりもよっぽど強く、懐かしい少女の歌声が聴こえいた。少女の歌は自然と、少年に彼女と過ごした日々を思い出させていく。甘酸っぱい様な思い出のリフレインに、少年の銀色の髪が揺れた。
―ショウ……
そう。オレはショウだ。オレを捨てた親が、残した紙に唯一書いた『生』という文字、それがオレの名だ。オレは自分の名前が大嫌いだった。でもアイツはイイ名前だと言ってくれた。アイツの名前……、忘れてなんかいない。悪魔だろうと何だろうと、オレが生きた記憶は消せない!
「フィ…ル」
少年――ショウは少女の名を無意識の内に呼んでいた。
「1」
ようやくカウントが耳に届いた。ショウはなんとか思い出の世界から這い出さねばならなかった。
「IDはショウ666だ。」
彼は沸き立つ心を必死に押し殺して言った。
「パスワードは0442666。」
司令官はあからさまに舌打ちした。それから、
「照合するから少し待て」
とだけ言い残し、コンピュータでIDを検索する。
――クソ!あった。
司令官の悔しさが顔に出て、ショウはホッと胸をなでおろした。
「フィールドを一時的に解除する。解除が済んだら速やかに中へ移動するように」
司令官がリモコンの様なものをいじると、ガラス膜のような結界は次第に薄くなっていった。それが完全に消えるのを待って、ショウは街の中へ入った。
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