スラム街のとあるプレハブ小屋。そこで彼はありとあらゆる情報を扱っている。
その情報の速さと正確さはフィルナディア、いやセレナールの中でさえナンバーワンといってもおかしくはない。
だが、そんな彼のもとを訪れる客は少ない。何故なら、実力の無い者はスラムのアウトローどもによって、アッという間に身包み剥がれて殺されるからだ。さらに、実力があったとしても、カネとコネ、もしくは探索力が無い者は、こんな薄汚れたプレハブ小屋に世界一の情報屋がいることなど、気付く筈が無いだろう。
通りの向こうから、サングラスとマスクを装着した、小太りな少女が現れる。セミロングの蒼髪をかき上げるその仕草が、いささか滑稽に映る。
少女は惑うことなく“彼”のプレハブ小屋へと進み、そのボロボロなドアをノックして一言、こう言った。
「全てを知ってる電脳クジラの脳味噌」
ぎぃ……。
今にも留め金が落ちそうなドアがひとりでに開き、小太りな少女を招き入れる。少女は敷居を跨ぎ、中へと入った。
そこは、まるで機械の怪物の腹の中の様だった。
床に散らばる、太さも色も個性的なコード達。コンセントの元を辿ると、蛸足電源が二重三重に絡み合い、見分けが付かなくなっている。
壁の本棚は本の代わりに、コンピューターや機器で、埋め尽くされている。
奥のデスクの回転椅子をクルリと回し、室内にも関わらずサングラスを掛けたスーツ姿の男が、コードを避けながら出入り口まで出迎えに来た。
「ようこそ、電脳クジラの巣へ。見かけない顔だけど……」
「そーかな?」
小太りな少女はクスっと笑って、ソプラノの響きをもってして、歌いだす。
「 ブレイクチェイン!
さぁ 鎖を引き千切れ!
自由手にして飛び立とう……」
それはpink catsの詩であった。そして、歌うと同時に少女のスタイルがぐんぐん引き締まっていく。
「お久し振りです」
変身を終え、モデルの様にスラリとした少女が言った。
「ひょっとして、フィルちゃんかい?」
男が感心しながら聞くと、少女は頷いた。
「いやぁ、大きくなったねぇ。5年前だっけ?泣きながらフェイクに連れられて来て、ショウの捜索を依頼したのは」
「はい。その後の進展の方は?」
男はほんの少し、沈黙を置いた。そして一言、
「いや、無かったよ」
と言った。そして、それと悟られない様に、本題を急かす。
「そういやさ、今日の用はそれだけかい?昨日、君達悪魔教の誘拐現場を取り逃しただろ?」
フィルは話を変えようとしていることに気付いてしまった。
しかし、フェイクが信頼している彼が、まさか信頼を裏切る様な男ではないだろう。きっと、あまり良い話ではないんじゃないか。彼女は恐くて気付かないフリをしてしまった。
「うん、何処に彼らの本拠地があるのか、分かる?」
「もちろん。その程度の情報なら、君の財布次第でいくらでも教えられるんじゃないかな?」
「じゃあ、これでお願い」
フィルは黒いカバンを置いた。
「一千万ある。確かめてみて」
「ハハ、芸能人の上にデビルハンターやってると、羽振りが良いんだね〜。でも、コレ全部は頂けないなぁ」
男は笑いながらカバンを開け、100万だけ受け取ってカバンをフィルに返した。
「アリガト。それじゃあ、早速教えてくれる?」
「OK.悪魔教のアジトは街外れの廃ビル群の中にある…………と、言われているが、実はこのビルはダミーだ。教祖の影武者、大量の戦闘部隊と低級悪魔、張り巡らされた危険な罠等、実はこのビル自体がブービートラップなのさ」
「ふぅん。ナルホド。よく調べもしないで、不確かな情報を頼りに乗り込んだ素人さんは、アッという間に殺られちゃうってワケね」
フィルは相槌を打った。まさかそこに永遠の待ち人がいるなどと、知る筈もない。
「その通り。で、本当のアジトへの入り口は…………」
「そこまで言えば大体分かるよ。ビルの横のマンホールとか、どうせそんなんでしょ?」
フィルは言葉を遮って言った。
「嗚呼〜!!先に言われた!ドラマの探偵みたいにカッコ良く言うつもりだったのに〜」
「ご、ごめんね。でも、助かったよ。クジラさんがいなかったら、きっとそのビルに突入してたと思うもん」
「ハハハ、それはなによりだ」
「クソがぁ!!どーなってんだよ!このビルわ!設計士出て来やがれやあぁぁァァアア!!!」
ショウは咽喉が枯れるほどの大声で叫んだ。迷路の様に複雑な通路、次から次へと作動するトラップ、わらわらと沸いてくる戦闘部隊と下級悪魔。彼の忍耐は限界を超えていた。
そもそも、何のためにこの施設を作ったのか、ショウには見当も付かない。昔フェイクの家で見た文献とは全く異なった構造をしている。
本来ならば悪魔教のアジトの中には、居住空間や牢屋、《サバト》を行う広間などの施設があるはずだ。しかしこのビルには、例の影武者教祖の部屋以外に、何の部屋も見当たらない。
――まぁ、適当に進んでいりゃあ何か見つかるだろう。
ショウは疑問を抱きながらも先へ進んで行った。
「へぇ〜、やっぱりクジラに聞いてみて、大正解だったね」
ホテルの自室で、のほほんとぬくい緑茶をすすりながら、フェイクは言った。
「うん、他の所だと、皆廃ビルがアジトだと思ってるみたいだよ」
フィルがあいずちを返す。
「で、あたし一人をスラムに行かせてフェイクは何をしてたのさ?」
やはり15歳のフィルにとって、スラムは少し恐い所だったらしい。少しむくれながら彼女は言った。
「他者移動の魔法を妨害されない様に、コイツを買って来てたのさ」
フェイクはそう言って、ローブの懐から、虹色の小石を取り出した。
「七法石……」
フィルがその名を呟いた石は、魔法陣を形成するのに用いられる、魔力の結晶体だった。
「フェイクがそこまでしなきゃ取り返せない様な魔力の使い手がいるの??」
「いや、念には念をということさ。このあいだ、ワシの追跡を振り切った相手もいるからね。あまり楽観は良くない」
フェイクは言い、緑茶を一気に飲み干す。追跡を振り切られたことが意外に悔しかった様だ。
「そっかぁ。じゃあ、そろそろ行く?」
「うん、行こう」
二人は、ホテルを後にし、クジラに教えられたアジトへと向かった。
「チッ!行き止まりか」
ショウは通路に先がないことを確認して、後ろを振り返った。
「!」
なんと、通路の向こう側から数十人の戦闘部隊が駆けつけて来る。
ショウは、有無を言わさず戦闘状態に突入させられた。
最前列にいた5人が、突撃しながらサブマシンガンを掃射する。ショウは、咄嗟に天井スレスレまで跳躍して、身をかわした。しかし、敵はその着地点を予測して、そこを銃口で狙う。しかし、ショウは着地せず、天井に拳で穴を開けて、そこに掴まった。
「ディルペ バグナード 熱き火球を!!《火球(ヴァレッド)》!!」
ショウはそのままの体勢で、魔法を撃った。ソフトボール大の炎の塊が、部隊の中央に向けて投げ込まれる。火球は隊員の一人に触れた瞬間、大爆発を起こし、一個小隊を吹き飛ばす。
一瞬の内に地獄絵図が出来上がる。直撃を受けて消し炭になった者。身体の一部が吹き飛んでしまった者。直撃を免れてなお、高熱に苦しむ者。
ショウは地面に着地すると、部隊にトドメを刺そうと、逆に特攻をかけた。
爆撃を何とか無傷で逃れた者が、必死の銃撃でショウを近寄せまいとする。しかしショウは楽々とそれをかわして敵陣に突っ込み、黒焦げになった者を踏み越えて、まだ元気に反撃をして来る手近な者の鼻面に、拳をねじ込んだ。
戦闘員は、味方に銃弾が当たるのを避けて、銃からサーベルや電気警棒に持ち替えると、ときの声を上げて、次々とショウに襲い掛かって来る。
ショウは無造作に電気警棒を持った者の手首関節を砕き、その手から警棒を奪うと、それを使って敵のサーベルを受け止める。
バジ!!
警棒の電気がサーベルを伝って戦闘員を感電死させる音を聞いて、ショウはニヤリと嘲笑った。
それを見た途端、剣を持った者は尻込みして、ショウに近寄ることすら出来なくなる。これによってショウは先に倒す相手を、警棒を持った者だけに集中させることが出来た。
敵が攻撃してくる瞬間、あるいは攻め終えた直後、もしくは隙が見えた瞬間、ショウは次々に相手を仕留めていった。
「さぁて、次は誰が死んでみる?いい加減、道を空けちまえよ」
ショウは不敵に笑う。
それによって戦闘部隊の士気は完全に折れた。これでようやく先へ進めると思った所へ、さらに邪魔者が乱入して来る。
「ニンゲン、弱チイ。オデ、ニンゲン、マルカジリ」
そう言いながら曲がり角の向こうから地響きを立てて現れたのは、体長2メートルの悪鬼、オーガだった。巨体の悪魔は戦闘部隊を押しのけて前へと進み出る。
「ケッ、誰が来ようと同じだ。オレのShow timeは止められねぇ」
ショウは電気警棒を放り捨て、オーガの足に唾をかけた。
「クソガキ!!」
オーガが大振りに棍棒を振るう。しかし、オーガは渾身の一撃を当てた手応えが無いことに気付いた。
「チッチッチ、そんな程度じゃオレのマジックは見破れないぜ?」
いつの間にやら、オーガの背後に移動していた、ショウが挑発する。
オーガは地を揺るがせて跳躍し、ショウから距離を取った。そして、短距離走のスタートの構えを取って、呟く。
「オデノタックル、セカイイチ」
オーガは猛然と突っ込んできた。その勢いは凄まじく、オーガが蹴った床はことごとく陥没していく。
「よっ…と」
ショウはそれを馬跳びにして、軽々とかわした。勢い余ったオーガは、そのまま戦闘部隊に突っ込んでしまう。
「グアァァ!!!」
「ギエェェ!!!」
……かなり甚大な被害が出た。オーガの巨大な足に潰されて腹部が陥没し、内臓が脇からはみ出している者や、吹き飛ばされて、向こうの壁に頭ごと埋め込まれてしまった者などの、悲鳴が通路を満たした。
「ハズレカ」
ショウのいる方を振り返ったオーガの鋭い角から、人間の上半身が生えていた。
説明するまでも無いことかもしれないが、胴から下を引きちぎられた戦闘員の上半身が、オーガの角に引っ掛かっているのだ。気の毒なことにまだ意識があるらしく、男は救いを求めてもがいていた。上半身の切れ目から、血と臓物がオーガの頭に滴り落ちている。
「ジャマダ」
オーガはぶるんと首を回し、哀れな男を振り落とした。
「……、一つ聞いていいか?オマエ等ってなんでこんなグズ崇めてんだよ?」
「…………」
ショウは素朴な疑問を近くの信者にぶつけてみるが、答えは無かった。
「まァ、いいか。やい!デカブツ!!」
ショウはビッとオーガを指差す。
「中々のタックルだったが、この国じゃぁ二番目に過ぎねぇぜ!!」
「ナ、ナニィ!!」
オーガは大仰に驚いてみせる。
「一番は、このオレ様を倒してから名乗るんだな」
ショウは親指で自分を指差した。
「イイダロウ、勝負ダ!!」
オーガは再び、クラウチングスタートの構えを取った。ショウも腰を低く構え、呪文を唱えだす。
「ウェイ・ヤード、我を彼の地へ……」
オーガが、烈風を身にまとって駆け出した。同時に、ショウは溜め込んだ魔力を解放する。
「《転移(ムー・ル)》!!」
唱えた瞬間には、ショウはその場から消えていた。同時に起こる――
パァン!!
――乾いた破裂音!オーガの身体が仰向けに倒れる。胸から下腹部にまで広がる、巨大な風穴を開けて。目にも留まらないスピード。ショウはオーガの向こう側へとすり抜けていた。
「貴様ガ……、ツ、ツキ抜ケタト、言ウノカ?オデノ……鋼ノ…、肉体ヲ……!」
「馬鹿にも分かりやすく説明すると、そんなところだ。」
《瞬間転移魔法ムー・ル》、本来は身体を原子レベルまで分解することで、超光速で場所を移動する魔法である。ただ、この魔法にはある副作用があった。もしも、現在地と移動する先までの間に障害物があった場合、原子は避けることなく障害物に衝突し、超光速の速度を武器に貫通してしまうのだ。障害物にとってみれば光の弾速のショットガンを身に受けたも同然なため、破裂と共に破壊されてしまう。
「オデノタックル……負ケ…タ……」
そう言い残して、オーガは現世を去った。
「さて…、次は誰が今のを喰らいたい?それとも全員まとめてやってやっか?」
ショウは大胆に生き残った戦闘員の方へと間合いを詰めていく。
「グッ……、撤収して一旦体勢を立て直すぞ!!」
一人の戦闘員がそう叫ぶと、部隊は蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した。
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