フィルはゴクリと息を呑んだ。不気味にそびえ立つビルの脇に、ひっそりと隠れた悪魔教の本拠地。その入り口はマンホールの形をしている。
「……着いたね」
やや緊張した面持ちで、マンホールの蓋を睨みながら、フィルは言った。
隣のビルからは銃声が絶えず聞こえる。どうやら浅はかな侵入者がいるらしい。
「いやぁ、アッという間だったねー」
あいずちを返すフェイク。シリアスなフィルとは対照的に、のほほんと構えている。
「そりゃあフェイクの転移魔法でアッという間で来たからね……。でももう少し緊張感出そうよ……」
フィルは苦笑いを浮かべながら、ふと気になって、罠のビルを見上げた。
「誰かが酷い目に遭っているのかな?」
「そうみたいだね。クジラに聞いてなければ、今頃わし等がああなってるところだ」
彼は大げさに肩をすくめてみせた。
「なんとか助けてあげられないかな?」
フィルの相談に、フェイクは腕を組んで考える。
《他者転移》を使えば助けることは出来る。が、浅はかなデビルハンターよりも、先に少年に《他者転移》をかけなければなるまい。《他者転移》一回に掛かるマナはバカにならない程大きい。果たして、二度もそれを唱えた後に、フィルを護り、ここから抜け出すことが……
フェイクは考えを中断させて、懐から出したミスリル銀製のトランプカードを取り出した。
「どうやら、そんなことをしている暇は与えてくれない様だよ」
彼の言葉が終わるのを待たずに、マンホールの蓋が突然真上に吹き飛んだ。そして、穴の中から、体長3メートルはあろうかという、巨大なアリの姿をした悪魔が、ぞろぞろと這い出てくる。
「ふむ、魔界獣の一種みたいだね。知能が人間より低いため下級悪魔と言われてるけど、実力的には中級悪魔と比べても見劣りしない」
フェイクは冷静に敵を分析した。
「出たな!悪魔!!」
フィルはベルトに繋がれたマイクを逆さに持ち、剣の様に構える。
“ヴン”
マイクのコード接続部から、フィルの内包するマナが、レイピアの様に鋭く伸びる。その刃の色は澄んだ青空の様に蒼かった。
その頃、「浅はかな侵入者」ショウは、ようやく二つ目の部屋を発見していた。
『第3集会所』
ドアの上に付いたプレートには、そう書かれている。
「ヘッ!やっと見つけたぜ!!」
ショウは不敵な笑みを浮かべ、早速そのドアを蹴破った。
「オラァ!!さっさとイケニエのガキ返せや!こォのチンカスどもがァッ!!!」
しかし、中では集会どころか、人っ子一人としていない。
真っ白な壁に囲われたホールは、まるでここで暗黒儀式が行われているとは思えないほど真新しく、ショウの怒鳴り声は虚しく辺りに響いた。
「あァ??何も無ぇ……だと??」
ショウが呟いたその時、突如としてホールの天井にいくつもの穴が開き、黒いロープを腰に巻いた戦闘部隊が飛び降りて来る。
ロープは彼らの身体を中空に固定、そこから彼らはショウを目掛けて数百発の弾丸を放った。
「……な゛っ!!」
無数の弾丸がショウの身体に吸い込まれていく。
フィルが武器を構えると同時に、敵は黒い弾丸の様に突進してきた。
「はっ!」
フィルはアリ型魔界獣の突進を、上に跳んでかわす。
そして、落下に合わせて一体の魔界獣の腰部に、蒼い刃を突き立てた。正のマナで構成された刃が、硬質化した負のマナでできた外郭をやすやすと突き破る。
「よっ…と」
フェイクは体長3メートルに及ぶ魔界獣の突進を真正面から止めていた。
「巨大なものがぶつかってくるのなら、その重力を軽くしてやればいい。力任せの突進じゃ、ワシは倒せないよ」
彼はそう言いながら、魔界獣の触覚を両手で一本ずつ持ち、ジャイアントスイングの要領で回し始める。
フィルは、もがいて彼女を落とさんとする魔界獣の背中に、剣を軸にしてしっかりとしがみつく。その姿はまさにマイクスタンドを携えた、嵐を呼ぶボーカリスト。彼女は柄のマイクに向かって叫んだ。
「Clash!!」
フィルの咽喉から発生する、強力なマナが剣から魔界獣の体内へと伝わり、その肉体を歪ませる。黒々とした外郭に亀裂が走ったのを確認すると、フィルは魔界獣の背から跳び降りた。亀裂から蒼い光が漏れた次の瞬間、魔界獣は内側から粉々に爆発する。残り五体。
フェイクはそのまま10回程高速回転して、そのまま魔界獣を放り投げた。魔界獣は錐揉み回転しながら、側にいた一体を巻き込んで、近くの廃ビルへと突っ込んでいく。そしてそのままその分厚いコンクリート壁をも打ち破り、瓦礫の下に埋もれる。
「ディルペ バグナード 熱き火球を 《火球(ヴァレッド)》」
フェイクはさらに魔法で追い討ちをかけた。バスケットボール大の火球が廃ビル目掛けて飛び、魔界獣二体を消し飛ばし、あり余った破壊力でその廃ビルを崩壊させる。
ここで、残った魔界獣三体は、それぞれ別の行動に出た。二体がフィル達の前に立ちふさがり、残りの一体がマンホールの方を向き、逃げ出そうとしたのだ。
(仲間を呼びに出たか!)
フィルとフェイクは同時に思い当たる。
「逃がすかっ!フェイク、二体おねがい!」
フィルはそう叫んで疾走を始めた。
フェイクは了解の代わりに魔法を唱えだす。
「シェード イン ヴルー 風の爪よ 切り刻め」
対峙している二体が、前足を広げてフィルを阻む。対するフィルはそのまま加速し、跳躍してそれをかわそうとした。
しかし、跳んだ瞬間、足に何かが絡みつく。それは魔界獣の牙の間から伸びた触手だった。
「うわっ!」
空中でバランスを失うフィル。引き寄せられる先には獰猛な魔界獣の牙が待つ。しかし、フィルはそれを無視してマンホールに入ろうとしている一体の動きを見ていた。
「《風激(ウィンディ)》」
フェイクの起こしたカマイタチによって触手が断ち切られるのと同時に、フィルは剣を振るった。蒼い軌跡は鞭へと姿を変えて、穴へ逃げ込もうとしている魔界獣の首に巻きつく。フィルは鞭を軸に体勢を立てなおして着地し、そのまま敵の首を絞めた。
触手を断ち切られた魔界獣は怒り狂ってフェイクに突進する。フェイクはこれを微笑さえ浮かべてヒラリとかわした。が、その背後から、来た一体の突撃の格好の餌となってしまう。
「《空間転移(ムー・リア)》」
しかし、常人ならば避けられない一撃を、フェイクは《転移(ムー・ル)》とは別の、完全なる瞬間移動によってかわした。
フェイクは掌を魔界獣に向け、さらに呪文を唱える。
「光よ 全てを薙ぎ払え 《光波(リ・ザムラー)》」
フェイクの掌中より出た光の奔流が、魔界獣二体を襲う。光は魔界獣どもを容易く飲み込み、跡形もなく灰塵に変えた。
一方、最後の魔界獣を鞭で捕らえたフィルは、再びマイクに向かって叫んだ。
「burn out!!」
その叫びに応じて、マイクの尾に蒼い小さな灯火が灯る。灯火が鞭を伝って魔界獣の身体に触れると、一瞬の内に、蒼い炎が魔界獣を飲み込んだ。
「これで全部だね」
フィルは魔界獣が燃えるのを見ながら言った。フィルがその目線を後ろに映すと、魔界獣2体を倒したフェイクが、そそくさと《他者転移》を確実なものにするための魔法陣を描き出していた。
「早くしなきゃだね。手伝えるコト、ある?」
フィルはフェイクの方へと歩み寄った。フェイクは軽く笑んでフィルに星の砂を渡した。
ショウの口は瞬間的にある魔法を唱えていた。
「《知覚鋭化(メイト・リス)》!!」
迫り来る弾丸。しかし、ショウはその弾丸一つ一つの動きを、魔法で五感を研ぎ澄ますことによって把握していた。弾の軌道と軌道の僅かな合間を縫うようにして、彼は次々と弾丸をかわしていく。
もし、これが一方向から普通に撃ち込まれた弾丸ならば、彼はその全てを余裕でかわしていたことだろう。だが、全方位から発射される弾丸は、そう簡単にはいかない。
背後の死角から飛来した弾丸を、ショウは読み損ねてしまった。右肩に激痛が走る。《知覚鋭化》の効果によって倍以上に研ぎ澄まされた感覚は、痛覚までも耐え難いものに変えていた。ショウは思わず動きを止めてしまう。弾丸はその隙に次々とショウの身体へと埋まっていった。
こうしてショウは、苦痛による悲鳴すら上げるヒマもなく、蜂の巣となって床へ転がった。
「終わったか……」
頭から足の先まで穴だらけになった侵入者を見て、ほっと胸を撫で下ろした。
偽教祖及びそのボディーガード死亡。第一部隊〜第五部隊壊滅。第六部隊半壊、残留兵の多くに身体障害及び精神障害確認。第七部隊及び第八部隊壊滅。結局のところ、今回の侵入者は彼等第九部隊以外の、全ての戦闘部隊を壊滅させていた。彼等とて最後のタクティクスが外れていたならば、間違いなく殺されていたことだろう。
(もう10発位、奴の死体にブチ込んでおくか……。)
彼等のうち一人がそう考えて、侵入者の骸に近寄る。
死体に変化が生じたのはその瞬間だった。
死体から眩い光が放たれる。
そして、
「我ガ名ハ生……」
何処からともなく声がホールに響いた。
「……生キトシ生ケルモノノ内ノ生、《混沌》ノ運ビ手ナリ」
ゆらり……ショウの骸が操り糸で吊られた人形の様に起き上がる。
「汝我ガ別タレタ精神ヨ……、再ビ我ガ内ヘ還ルガイイ」
そこにいた者達の誰もが、その異常事態の意味を理解することが出来なかった。ただ、そこにあったショウの霊のみが、自分の存在を何者かが抹消しようとしていることを、絶対的恐怖の中で理解していた。
そしてその存在は、ショウの霊の抹消に掛かる。
「ギッ!ギ、ギギギアァァアアア!!!!」
ショウの骸の咽喉から発する、血痰交じりの凄まじい叫び声がホールを震えさせた。地獄からの断末魔によって、その場にいた者全てが身動き一つ出来なくなくなった。
「イ゛ッ……!イヤダッ……!!オレ……ハ……オレ……ダッ……!!!!」
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